菜根譚㊺

人生の福境禍区(ふくきょうかく)は、皆(みな)念想(ねんそう)より造成(ぞうせい)す。

故(ゆえ)に釈氏(しゃくし)云(い)う、「利欲(りよく)に̪熾然(しねん)ならば、

即(すなわ)ち是(こ)れ火坑(かこう)なり、貪愛(とんあい)に沈溺(ちんでき)せば、

便(すなわ)ち苦海(くかい)と為(な)る。一念(いちねん)清浄(しょうじょう)ならば、

烈焔(れつえん)も池(いけ)と成(な)り、一念(いちねん)警覚(きょうかく)せば、

船(ふね)も彼岸(ひがん)に登(のぼ)る」と。念頭梢異(ねんとうややこと)ならば、

境界(きょうかい)は頓(とみ)に殊(こと)なる。慎(つつ)しまざるべけんや。



福境禍区→境も区も状況、境涯。幸福と不幸の境涯に別がある事。

念想→物事を区別してその良し悪しを相対的に判断しようとする心。

彼岸→此岸(しがん)を現実の迷いの世界と見るのに対し、理想の悟りの世界、

   究極の境地、涅槃の境涯。


人の一生の境涯の区別は、すべてその人自身の心が作り出したものである。

だから仏教でも、「利益や欲望の心が火の様に盛んに燃えると、その人生はあたかも焦熱地獄の様に思われ、貪欲や執着におぼれ沈むと、その人生はさながら救いのない苦海の様に思われる。現在の一刹那の心さえ清浄になれば、燃え盛る炎も涼しい池に変わり、貪る心も

一旦目覚めると、苦海を渡る船も悟りの彼岸に辿り着く」と説いている。

この様に、心の持ち方がほんの少し変わっただけで、不幸であるという立場がたちまち幸福に変わってしまう。よくよく慎むべきである。


幸福も不幸もその人の感じ方だそうです。

うまくいっている人の話を聴くと問題解決を楽しんでいる様にさえ聞こえます。

現世は魂の修行に来ているとはよく言ったものだと思います。

だから、疲れるのは当然の結果です。

東京赤坂のHippocrates(ヒポクラテス)で足裏の足つぼフットマッサージをして疲れを癒してください。そして、問題解決に勤しんで人生を楽しんでください。

HIPPOCRATES(ヒポクラテス)東京赤坂

2006年札幌で開業。2015年に赤坂に出店した完全予約制の 東洋式フットマッサージ(足揉み・足つぼ)サロンです。 健康や老化のお悩みを強めのフットマッサージ(足揉み) で解決いたします。 リラクゼーションではなく、しっかりしたマッサージや 結果を求めてる方、是非一度お越しください。

0コメント

  • 1000 / 1000