菜根譚㊻
縄鋸(じょうきょ)に木(き)も断(た)たれ、水滴(すいてき)に石(いし)も穿(うが)たる。
道(みち)を学(まな)ぶ者(もの)は、須(すべか)らく力索(りょくさく)を加(くわ)うべし。
水(みず)到(いた)らば渠(みぞ)成(な)り、瓜(うり)熟(じゅく)せば蔕(へた)落(お)つ。
道(みち)を得(う)る者(もの)は一(ひと)えに天機(てんき)に任(まか)す。
縄鋸・・・→つるべの縄も長く井げたをこすっていると、鋸の様に木も切られてしまい、
水のしずくも長い年月の間には石に穴をあけてしまう、微々たる力も、
集まれば大きな仕事を成す意味。宋の羅大経の『鶴林玉露』に、一日一銭、
千日一千、縄鋸に木も断たれ、水滴に石も穿たる」とあるによる。
力索→努力模索の意味で、求め続けること。
水到らば渠成り→南宋も范正大の「劉唐卿、戸曹擢第して西帰するを送る」の転結に、
「学力は根深くして方(はじ)めて蔕固く、功名は水到れりて自ずから
渠成る」とある。
つるべの縄によって久しい間、井げたがこすられていると、のこぎりの様に木も切られるし、水のしたたりによって、石に穴をあけられる。この様に道を学ぶ人は、その道を求め続ける様にしなければならない。
また、水が流れてくれば自然に溝ができ、瓜も熟すると自然にへたまでも落ちてしまう。
この様に道を得ようとする人は、ひたすら天の自然なはたらきに任せておればよい。
自らのやるべき事を完全にやったなら、後は待つしかない時があります。
種をまいたら実のるまで待たなければ収穫出来ません。
「人事を尽くし、天命に従う」空いた時間は次の仕事の事を考えて対策を練ってください。
待っている時間は東京赤坂のHippocrates(ヒポクラテス)で足裏の足つぼフットマッサージをしてその時に備えていてください。
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