内丹気功④煉神
「黄庭経」は脳と心の功能についても言っています。
心の持つ意味をより広く考え、脳のはたらきを明確にして、脳は神意を主るとしました。
至道章では
「泥丸(脳宮のこと)の百節には皆神が存在する」
「一面の神は泥丸を宗とする」
と言っています。
心神章では「心神は丹元、守霊と名付ける」と言っています。
「丹」は赤、心は血を主るからである。
「霊」は神、心が神を蔵することをいいます。
「元」は守、心は君主(内臓を官職で例えています)の官で五臓を統括すると言っています。
心は神明を主る他にも血脈・五臓を統師するといわれています。
「黄庭経」は脳の作用を意識するため「煉神」を特に泥丸を守ることであるとしています。
若得章では「誰が家の子か我が身にあり、この人はどうやって泥丸に入ったのか問う」
と言っています。
「黄庭経」の煉神では「守一」も強調しています。
至道章では「ひたすら一部を思えば、寿は窮まりなし」とあります。
その他にも「内視」と「返照」を結びつけることを強調しています。
瓊室章では
「恬澹として目を閉じ内視すれば、身の内外なく、精を保ち五牙(五臓の精気)に嗽げば、
飢渇せず」
「虚無寂寂として空中の素となる」
「存思百念して節度を視る」
といっています。
0コメント