菜根譚⑲
身を持(たも)つに、太(はなは)だしくは皎潔(こうけつ)なるべからず。
一切(いっさい)の汚辱垢穢(おじょくこうあい)も、茹納(じょのう)し得んことを要す。
人に与するに、太だしくは分明(ぶんめい)なるべからず。
一切の善悪賢愚(ぜんあくけんぐ)も、包容(ほうよう)し得んことを要す。
皎潔(こうけつ)→皎々潔白の意味。けがれなく清らかなこと。
茹納(じょのう)→茹も納も、受け入れること。許し取り入れて拒否しないこと。包容と同じ。
この身を安全に保っていくのには、あまりに潔癖すぎてはいけない。
一切の汚れや穢れも、全て受け入れてしまう必要がある。
また、人と一緒に物事を行う際には、あまりはっきり割り切りすぎてはならない。
一切の善も悪も、賢も愚も、全て包容し入れてしまう必要がある。
どの様な組織や仲間などの集団でも様々な思考や能力があるから飽きずに継続できます。
切磋琢磨の様に競争しながら互いを高めあって成長・開発していく人もいますが、
開発する力はありませんが、記憶力や理解力の優れた人もいます。
この様な人達は、人に現実を教えて集団の底上げができます。
新しい事を開発する人、それを効率化する人、それを教える人、教えられる人など、
様々な立場で活躍出来る様に集団組織があるのかもしれません。
それでも考えの違う人や及ばない人と長い時間いると疲労します。
その時は、東京赤坂のHippocrates(ヒポクラテス)で足裏の足つぼフットマッサージをして
頑張りましょう。
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