菜根譚㉛
山林泉石(さんりんせんせき)の間(かん)に徜徉(しょうよう)すれば、
而(すなわ)ち塵心(じんしん)漸(ようや)く息(や)み、
詩書(ししょ)図画(ずが)の内(うち)に夷猶(いゆう)すれば、
而ち俗気(ぞくけ)潜(ひそ)かに消(き)ゆ。
故(ゆえ)に君子は、物を玩(もてあそ)びて志(こころざし)を喪(うしな)わずと雖(いえど)も、
亦(また)常(つね)に境(きょう)を借(か)りて心(しん)を調(ととの)う。
徜徉(しょうよう)→逍遥と同義で、畳韻の語。目的もなくぶらぶら歩くこと。
夷猶(いゆう)→ぐずぐずする、ためらう。また、ゆったりとそこに心を留めておくこと。
徜徉とは対になる。
詩書(ししょ)→『詩経』(毛詩)と『書経』(尚書)の意味であるが、ここでは書物一般の意味。
物を玩(もてあそ)びて→外界のものに気を取られ本心を失うことに対する戒め。
『書経』に、「人を玩べば徳を喪い、物を玩べば志を喪う」とあるのによったもの。
境(きょう)→自分の心に相対する現象界の事情。ここでは山林泉石や詩書図画などを指す。
山深い林や泉石などの自然の中でぶらぶら散歩すると、
俗世界の塵に汚れた心も次第になくなり、
また、詩書や絵画という風流なものにゆったりと心を遊ばせていると、
世俗的な気質もいつしか消えてしまう。
だから、君子たるものは、本来は外物を楽しんで本心を失う様になるのは
いけないのであるが、また、一方で、いつも外境によって心を調えることも
必要である。
人と交わらないで好きな事をしていて心が爽やかな事は素敵な事ですが、
世俗の中で人の役に立つ心を保つことで世の中の役に立つ人といえます。
しかし、様々な誘惑に打ち勝つのは、心身共に疲れます。
その時は東京赤坂のHippocrates(ヒポクラテス)で足裏の足つぼフットマッサージをして
誘惑に負けない心を保ちましょう。
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