菜根譚㉞

世人(せじん)は、只(ただ)我(が)の字を認め得(う)ること

太(はなは)だ真(しん)なるに縁(よ)るのみ。

種々(しゅしゅ)の嗜好(しこう)、種々の煩悩(ぼんのう)多(おお)し、

前人(ぜんじん)云(い)う、

「復(また)我(が)有(あ)るを知らず、

安(いずく)んぞ物を貴(とうと)しと為(な)すを知らんや」と。

又(また)云(い)う、

「身(み)は是(こ)れ我(が)ならずと知らば、

煩悩(ぼんのう)も更(さら)に何(なん)ぞ侵(おか)さんや」と。

真(まこと)に破的(はてき)の言(げん)なり。



我(が)→梵語ātmanの訳で、自己のうちにあるとされる永遠不滅の固定的実体。

    輪廻の主体となるものと考えられるが、仏教はこれを否定し、無我を説く。

    この我があるとみるところに、種々の欲望や煩悩執着が生ずるとする。

前人(ぜんじん)云(い)う→陶潜の「飲酒」による。

破的(はてき)→的を破る。的に当てる。また、言葉が道理を言い当て尽くしている意味。


世間の人は、ただ自我というものが本当にあるということをたいそう大事にしている。

だから、自我の対象となる色々な嗜好や煩悩が多くなってくる。

古人の詩にも「本来自我などというものがあるということはわからない。

それなのにどうしてものが貴いなどということを知ることができようか」と言っている。

また、「この肉体も本来我ではないということが分かれば、煩悩などもどうしてこの身を侵すことができようか」と言っている。

これは本当に真実を看破した言葉である。


現実に見えない妄想を神聖化してその結果、欲と頑固なこだわりに凝り固まって偉そうにしていても仕方が無いと思います。そんなことよりも少しでも人や世の中の役に立ちたいものです。役立って疲れた時は東京赤坂のHippocrates( ヒポクラテス)で足裏の足つぼフットマッサージをして、また、人助けをしてください。


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