菜根譚㊲

纔(わず)かに筏(いかだ)に就(つ)くや、便(ただ)ち筏を舎(す)てんことを思わば、

方(はじ)めて是(こ)れ無事(むじ)の道人(どうにん)なり。

若(も)し驢(ろ)に騎(の)りて、又復(また)驢(ろ)を覓(もと)めば、

終(つい)に不了(ふりょう)の禅師(ぜんじ)と為(な)らん。


纔(わず)かに・・・便(ただ)ち・・・→するやただちに。するやいなや。

筏(いかだ)→仏教では、仏の教えを、人を悟り彼岸に渡す筏の例えに用い、彼岸に到着したらただちに捨て去られるべきものと見る。

無事(むじ)の道人(どうにん)→無事は何ら変わったことをしない、無為なる様子。

唐代の臨済義玄の『臨済録』には、「無事是れ貴人にして、但造作莫く、秖だ是れ平常なり」とあり、また「唯聴法無依の道人有り、是れ諸仏の母なり」とある。何物にも捉われない悟りを得た人。

驢(ろ)に騎(の)りて→自分がロバに乗っていながら、他にロバを探し求める様な愚かな行為。

自分自身の仏性に気付かず、他に仏性を求める様な行為のこと。

荷沢神会(かたくじんね)の語に「経を誦して有無の義を見ざるば、真に驢に騎りて更に驢を求むるに似たり」とある。

不了(ふりょう)→悟れない。


筏に乗るやただちに筏を降りる事を考える人であってこそ、十分に悟った道人である。

もし、自分自身がロバに乗っていながら、その上更にロバを探し求めるようでは、結局悟ることの出来ない禅師となってしまう。


自分のやるべき事や勉強をするのは素晴らしいことですが、いつまでも同じことにこだわっていてはその先に進めないままになってしまいます。一つの事を究める事は素晴らしいこと

ですが、人間に求められているのは成長を伴う学びです。

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