菜根譚㊴
金(きん)は鉱(こう)より出(い)で、玉(ぎょく)は石(いし)より生(しょう)ず。
幻(げん)に非(あら)ずば以(もっ)て真(しん)を求(もと)むること無(な)し。
道(どう)を酒中(しゅちゅう)に得(え)、仙(せん)に花裡(かり)に遇(あ)う。
雅(が)なるものありと雖(いえど)も、俗(ぞく)を離(はな)るること能(あた)わず。
鉱(こう)→粗金(あらがね)の事。素材となる鉱石。
石(いし)→ここでは璞玉(あらたま)の事。まだ磨いていない掘り出したままの玉。
幻(げん)→夢幻泡影と熟字し、仏教では生滅変化する有為朋(ういほう)に固定的実態のない
例えとして用いるが、現実世界そのものでもある。
道(どう)を酒中(しゅちゅう)に得(う)→酒を飲みながら道を悟る。竹林の七賢の様な在り方。
黄金も粗金の中から取り出され、玉も璞玉の中から出てくる。
この様に、仮の幻のものであってもこの現実の中からでなかったならば真実は求められない。竹林の七賢の様に、酒を飲みながら道を悟り、陶潜の『桃花源の記』にある様に、桃の花の咲く中で仙郷に出会う。この様に、俗世間を離れたものと思われるものでも、俗世間からまったく離れることはできない。
夢を描いて想像することは構いませんが、現実を無視して思い描いても何も得ることはできません。現実を直視して自らを磨き上げ物や技術や思想を身に着けて、世の中の役に立つような事が出来ると良いと思います。
其の努力は裏切ることは希だと思いますが、疲れるでしょう。
その時は東京赤坂のHippocrates(ヒポクラテス)の足裏の足つぼフットマッサージを思い出して来て下さい。裏切ることは希だと思います。
0コメント