菜根譚㊵
天地の中の万物(ばんぶつ)、人倫の中の万情(ばんじょう)、世界の中の万事(ばんじ)は、
俗眼(ぞくがん)を以(もっ)て観(み)ば、紛々(ふんぶん)として各々(おのおの)異(こと)なるも、
道眼(どうがん)を以(もっ)て観(み)ば、種々(しゅしゅ)も是(こ)れ常(じょう)なり。
何(なん)ぞ分別(ふんべつ)を煩(わず)わし、何(なん)ぞ取捨(しゅしゃ)を用(もち)いんや。
人倫→人として歩むべき道。人と人の関係をいう。
俗眼(ぞくがん)→世俗的な見方。万物を相対的に見るとらえ方。
道眼(どうがん)→天地、万物を一体と見るとらえ方。万物を絶対的立場から見る悟りの眼。
常(じょう)→常住不変、永遠に変わらないこと。
分別(ふんべつ)→対象となるものを思量し、識別判断すること。仏教では主観的な価値判断として忘想、忘分別と見なす。
天地の間にあるあらゆるもの、人間関係におけるすべての出来事は、
これを世俗的な目で見れば、色々と入り乱れ異なっている様であるが、
もし悟りの目で見たならば、その様な色々な事も、
結局はすべて常住不変の一つのことである。
だから、どうしてむやみに区別をしたり、良いものは取り悪いものは捨てたりする
必要があろうか。
昔も現在も多分未来も人は生まれて死ぬ事を常に繰り返しています。
今までも時代や生活環境や政治は常に変化していますが、
人は食べて寝るを繰り返しています。
財産がある人無い人、仕事が好きな人嫌いな人、才能がある人無い人、
物事を喜んでやる人厭々やる人等色々な人達がいます。
せっかく人間に生まれたのだから人とかかわって生きていくのが
正しいのではないかと思います。疲れた時は、
東京赤坂のHippocrates(ヒポクラテス)で足裏の足つぼフットマッサージをして
また、色々な事をしたり、いつもの繰り返しをしたり好きなように人と関わって
生きていきましょう。
0コメント