菜根譚㊾
子(こ)生(う)まるるや、而(すなわ)ち母(はは)危(あやう)く、
鏹(きょう)積(つ)むや、而(すなわ)ち盗(ぬすびと)窺(うかが)う。
何(なん)の喜(よろこ)びか憂(うれ)いに非(あら)ざらん。
貧(ひん)は以(もっ)て用(よう)を節(せつ)すべく、
病(やまい)は以(もっ)て保(たも)つべし。
何(なん)の憂(うれ)いか喜(よろこ)びに非(あら)ざらん。
故(ゆえ)に達人(たつじん)は、当(まさ)に順逆(じゅんぎゃく)も一(いつ)に視(み)、
欣戚(きんせき)も両(ふた)つながら忘(わす)れるべし。
鏹積む→鏹は銭さしでつらぬいて一束にした銭。またお金一般をいう。お金が蓄積される。
金持ちになること。
欣戚→欣は喜び、戚は憂い、悲しみ。
両つながら忘れる→双方を個別のものとする見方を捨て去っている。別個のものと思わ
ないこと。
子供が生まれる時は、母の命は危険であり、お金がたまると、盗人がこれを狙う。
このことから考えると、どんな喜びが心配事の原因でないものがあろうか。
貧乏すると費用が節約できるし、病気をするとかえってわが身を大切にし健康を保つ事が出来る。したがって、どんな心配事が喜びの原因でないことがあろうか。
だから、本当の道に達した人は、順境も逆境も同じに見ることができ、
喜びだとか悲しみの区別を忘れている。
人はあることで失う心配をして、無いことで必要最低限ですます工夫する。
でも、人生はわざわざ苦労して問題解決をしながらおくっています。
苦労は好き好んでやっていると言われています。止めれば良いことをわざわざ維持しています。この苦労を楽しむのが人生なのかもしれません。当然ながら疲れるはずです。
その為に東京赤坂のHippocrates(ヒポクラテス)の足裏の足つぼフットマッサージがあります。
是非とも活用してください。
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