中国古代の神(しん)
諸神(諸々の神)は、霊智(れいち・不思議な知恵)にして方(ほう・ところ)無く、
隠顕(いんけん・見えたり隠れたり隠れたりのこと)測られず。
孔子曰く、陽の精氣を神となすと。
また曰く、陰陽測られざる(陰となり陽となり変化の予想が出来ないのが神である測)を、
これ神と謂うと。
一の解に云う、神(しん)は申(しん)なり、
万物はみな質(しつ・飾りを加えない原樸(簡単な状態))あり、
礙屈(がいくつ・さまたげ折れること)して申(の)びず、
神は、これ清虚(心が潔白でわだかまりがないこと)の氣にして、
擁滞(ようたい・ふさぎとどこおること)するところなし。
故に申(しん)というなり。
その神を語るや、名に万徒あり。
三材の道、百霊にして一に非ず。
並びに五行に従う、周(あまね)くは尽すべきこと難し。
今、且(しばら)く配するところの五行を論ず。
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