菜根譚⑤
書を読みて聖賢(せいけん)を見ざれば、鉛槧(えんざん)の傭(よう)為(た)り。
官に居りて子民(しみん)を愛さざれば、衣冠(いかん)の盗(とう)為(た)り。
学(がく)を講(こう)じて躬行(きゅうこう)を尚(とうと)ばざれば、口頭の禅(ぜん)為(た)り。
業(ぎょう)を立てて種徳(しゅとく)を思わざれば、眼前の花為(た)り。
鉛槧(えんざん)の傭→鉛は文字を塗抹(とまつ)するのに用いる胡粉(ごふん)、
槧は文字を濃く板のことから文筆や文字を意味する。
傭は雇われ者、奴隷。
衣冠(いかん)の盗(とう)→衣冠は官位にある者の服装のことで、役人の姿をしながら
その本分を果たさず俸禄だけもらう者。
口頭の禅(ぜん)→実参実究を本領とするのが禅であるが、口先だけ理屈だけの空理空論の禅。
古人の書物を読んでいながら、聖賢の精神にふれなかったならば、それは単なる文字の奴隷であるにすぎない。官位についても、給料ばかり貰って、人民を愛撫しなければ、役人の衣冠を着けた禄盗人である。
また、学問を講じても、理屈ばかりで自ら行うことを大切にしなければ、口先だけで禅をもてあそんでいるにすぎない。事業を起こしても、自分の利益を追求するだけで、徳を世に
布き行う事を考えなければ、眼前に咲いているだけの儚い花にすぎない。
私も足裏の足つぼフットマッサージを習った際にどんなに勉強しても、人を改善させれなければ意味のないことだ。どんな方法を使ってでも改善させる努力をするように習いました。
未だに勉強しながら人が良くなるように願いながら練習と実践しています。
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