菜根譚⑥
人の際遇(さいぐう)は、斉(さい)なる有り、斉(さい)ならざる有り。
而(しか)して能(よ)く己(おのれ)をして独り斉(さい)ならしめんや。
己の情理(じょうり)は、順(じゅん)なる有り、順(じゅん)ならざる有り。
而(しか)して能(よ)く人をして皆(みな)順(じゅん)ならしめんや。
此れを以て相観(そうかん)し対治(たいじ)するも、亦是(またこれ)一(いつ)の方便の法門なり。
際遇(さいぐう)→際会境遇のこと。いろいろな出来事や、周囲の事情に出会うこと。
斉(さい)→整う、揃う、欠けたところがなく全て備わること。
情理(じょうり)→心情の道理、精神の状態。
相観(そうかん)し対治(たいじ)する→対象としてよく観察して見極め、誤った見方を退け
正すこと。
方便の法門→方便は梵語のウパーヤ(仏の智慧による衆生を済度に近づけるための巧みな
方法を主に意味する)の訳語で、真実の導くための巧みな手段、便宜な方法。
人間の身の上というものは、満足できる状態もあり、満足できない状態もあります。
どうして自分一人だけいつも満足できる状態を望めようか。
また、自分の心情の動きというものは、平穏な状態もあり、乱れる状態もある。
どうして他人にだけいつも平穏な状態でいることを望めようか。
以上の例から斉・順と不斉・不順の双方がある事をよく理解して。
自分の迷いを正すということも、人生における真実の生き方の一つである。
現在の様にコロナウイルスで生活が乱れている人も大勢いますが、
なんでもない時でも仕事・家庭・肉親などの問題は常にあったはずです。
この様な状況を政治家や医者や専門家の指示の仕方が悪い等と言ってないで、
自分で出来ることを自分と他人の幸せの為に学んで、気付いて迷いを正して生きましょう。
その生き方に疲れた時は、東京赤坂のHippocrates(ヒポクラテス)に来て、足裏の足つぼフットマッサージをしてよく寝て元気になりましょう。
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