菜根譚⑪
文章も極処(きょくしょ)に做(な)し到らば、他の奇(き)有(あ)ること無く、
只(ただ)是(こ)れ恰好(かっこう)あるのみ。
人品も極処に做し到らば、他の異(い)有ること無く、只是れ本然(ほんぜん)あるのみ。
極処(きょくしょ)→極まったところ、最高の境地。
做(な)し到らば→やったことが最後まで出来上がること、完成すること。
恰好(かっこう)→丁度良い、うまい具合、まさに適当。
人品→人の品格
本然→本来のあり方、天から附与された自然のままの純然たる性。
宋学では「本然之性」を純一無雑で絶対善であるとし、血気融混して後天的に
生ずる性を「気質之性」といい、五行の配合の度合いにより善不善の差別を生ずる。
文章も技巧が最高の域まで上達すると、そこには奇抜な表現があるわけでなく、
ただぴったり合った表現があるだけである。
人格も最高の境地に達すると、そこには特別他と変わった様子があるわけではなく、
ただ人間本来備わっているものがそこにあるだけです。
素晴らしいと思うひとは、やるべきことをこなして、
ダメなことをしないように見えます。
一言で言うと品が良いということだと思います。
「究極に奇異はない」とは、正にです。
この様なことを目指すために、体と心の余裕が必要です。
東京赤坂のHippocrates(ヒポクラテス)で足裏の足つぼフットマッサージをして
とりあえず体調管理を万全にしましょう。
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